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1999/3_25(ブリティッシュ・ライブラリー〜ミサ〜サイゴン)

The British Library



ブリティッシュ・ライブラリーは、ロンドンのはずれにありました。
歩いている人も少ないし、建物が近代的だったので、
ロンドンにいるとは思えないような所でした。

あまりにも閑散としているので「休みかな。」と思って、
カフェのイタリア系お兄さんに尋ねてみると、
「もーう、あなた達ラッキーねー。素晴らしいものをひとりじめできるねー。」
と身ぶり手ぶり大袈裟に答えてくれました。
中に入ってみて今日はメインの図書館がお休みだけれど
資料室だけは開いているということがわかり、
お兄さんの派手なアクションの意味がようやく理解できました。

本当にラッキーだったようです。
資料室は、私達3人が観ているだけでした。
でも、気が焦ってしまい・・どうしてって、ビートルズの手書きの歌詞や、
モーツァルト、ベートーベン、シューベルトなどの手書きの楽譜、
ナイチンゲールの手紙、マグナカルタの原本、シェークスピアの初版、
ジェーン・エアの自筆原稿、ルイス・キャロルの挿絵入り自筆原稿などから、
宗教関係は1世紀からの貴重な資料がたくさん並べてあったのですよ。


ヘッドホンで音の資料も聴くことができ、
ビートルズのレコーディング風景やデビッド・ボウイの初レコーディングの様子、
ベルリンフィルの最初の頃の演奏などをはじめ、著名人の話している声なども聞けるのです。
あっちこっちでそれぞれが歓声をあげ、「こっちこっち。」と呼ぶものだから
3人で走り回っての観覧となってしまいました。
最終的に、夫はビートルズの前に、娘はお目当てだったモーツァルトやヘンデルの楽譜の前に、
私は英文学の貴重な資料の前に落ち着き、暫くそこを離れることができませんでした。
楽譜にしても著書にしてもこの度よくわかったことは、皆信じられない程きれいに書いていることです。
歴史に残る人々と凡人では、この辺から違うのですね。
それから、原本からは言い様のないパワーを感じることです。
ことに大作曲家達の手書きの楽譜の前では、かなりの震えがきました。
他にもまだまだ見どころはたくさんありましたが、
書き始めるときりがなさそうなのでこのへんにしておきます。
とにかくここは宝箱ですので、是非、ロンドンにお越しの際は行ってみて下さい。

Mass At The St.Paul's Cathedral

さて、5時のミサの聖歌隊をめあてに、ダブルデッカーでまたセント・ポールに向かいました。
さすがに夕方になると東京並みのラッシュアワーで少し遅刻してしましたが、
なんとかきれいな歌声を聴くことができました。
音が、高い天井の方に向かって昇っていくのが見えるようでした。

昔「どんな音楽が好き?」と聞かれると必ず「宗教音楽」と答えていました。
でもある日ふと気付きました。私は、「宗教音楽」が好きなのではなく、「エコーの響き」が好きなのだと。
こうやって「音の反響のきれいな教会で音楽を聴く」のが大好きだったのですね。
エフェクターも、いの一番に「エコーチェンバー」を手に入れた記憶があるし、
今でもデジタルリバーブを多用、愛用しています。
でも、やっぱり本物はいいなぁ。
昨日にひき続き、「楽器を持ってくればよかった。」と思いました。
叱られるのを覚悟で、『グリーンスリーブス』を吹く。一度、やってみたいものです。

Restaurant 'Saigon'

今日は夜のイベントが無いのでゆっくり食事をしようということになり、
食事担当の夫がずっと「連れて行きたいお店があるんだ。」といい続けていた
「サイゴン」というベトナム料理のお店に行くことになりました。
なんでも出張の度に通い続けていたお店らしいのです。

ソーホー地区の華やいだ街の中で、その店はとても小さくて質素な雰囲気でした。
メニューを見てあれこれ相談していると、とても優しそうな店員さんがきて一緒になって選んでくれました。
こちらが食べやすいように個数も加減してくれたり、食べあわせも真剣に考えてくれたので、
「ビューティフル!」と叫びたくなるほど素敵な料理がテーブルに並びました。
店員さんはビールを注いでくれるのはもちろんのこと、
私達に満面の笑みで一生懸命、かつ、押し付けがましくなく世話をしてくれます。
そのおかげで食事はますます美味しくなり、幸せな気分に浸っていました。

そんななか、ほろ酔い気分の夫が「アジアの女性はよく気が付くし、優しいからいいよね。」と言い出しました。
・・・・・その瞬間、私は酔いがさめました。
「あぁ、そうか。」夫にとって「サイゴン」は「ハイランド」、店員さんは「ノンキー」なんだと判ったからです。
私は、自分ばかりがノンキーを探し求めていて、自分がノンキーにならなければいけないことをその時まで忘れていたのです。
本当に穴があったら入りたい気分でした。
妻であり母である私は、家族が帰る場所、オアシスにならなくてはいけなかったのです。

その人その人にとって「ノンキー」や「ハイランド」の存在は違うと思います。
けれども、私は自分が求める「ノンキー」と自分がならなくてはいけない「ノンキー」があることを
忘れないように生きていこうと、この時強く思いました。

明日は、いよいよ留学していた高校に行く日です。私の人生を変えたSr.Antonyと感動的な再会・・

つづく